[伊検] 実用イタリア語検定試験 TOP > エッセー集 イタリア散歩道 > 日本のメディアが報じなかったコロナ禍のイタリア

エッセー集 イタリア散歩道

<日本のメディアが報じなかったコロナ禍のイタリア>

佐藤 徳和
イタリア語検定協会事務局Le Ali 32号

 春先のイタリアにおける新型コロナウイルスの感染拡大の悪夢は、イタリア語を学び、イタリアを愛する私たちにとってはあまりにも辛く、目も当てられない惨状でした。日本でもイタリアの感染状況はメディアで連日大きく報じられていましたが、日本の感染拡大により、今ではすっかり報じられなくなってしまいました。私は、イタリアのサッカーの記事を書き、またコロナ禍に陥ってから、テレビ局で、イタリアのコロナ関連の通訳・翻訳の作業を担っていました。テレビ局では伝えられなかったこと、また伝えておきたいことをこの場を借りて、お伝えしたいと思います。

 イタリアに衝撃が走ったのは2月21日。北部ロンバルディーア州ローディ県コドーニョという私たち日本人だけでなく、イタリア人にとっても耳慣れない小さな町に、コロナウイルスのクラスターが発生する。イタリアは1月30日、中国から入国した旅行者2人が感染していることが明るみに出ると、政府はその翌日には中国との航空便を停止させ、非常事態宣言を発令した。それ以来、感染拡大をうまく封じ込め、政府の対応は機能しているように見えた。

 ところが、コドーニョの感染発覚で事態は激変する。日に日に感染者は激増し、3月の半ばには、連日、数百人が命を落とし、医療が崩壊寸前の危機的状況に陥ってしまった。そのコドーニョで初めて罹患したイタリア人というのが、37歳のマッティーア・マエストリさんだった。

 私にとって驚きだったのは、実名で報じられていたことだ。日本では、職業だけでなく年齢も伏せられていたことが多かっただけに、記事に名前を見つけたときは、まさか実名だとは思えなかった。それゆえ、やはり誹謗中傷は絶えなかったようだ。そのマエストリさんは感染前に「中国人と夕食を共にした」と報じられていたが、これは虚報だった。「搬送を拒否」「週に2回もマラソンをこなすスーパーマン」という報道もフェイクだった。「マラソンはやるが週に2度も走らない」と後で怒りを示している。妊娠していた奥さんのヴァレンティーナさんも感染していたものの、幸い無事に2人目となるお子さんを出産した。しかし、マエストリさんの父、モレーノさんは、コロナとの戦いに打ち勝つことができずにこの世を去り、愛孫との対面を果たすことは叶わなかった。マエストリさんは、フルマラソンをこなし、3時間後半代で走破できるランナーとしては98キロと異例の“重量級”だったが、2月下旬に退院する際には80キロまで体重が落ちていた。18キロの体重減が、凄まじい闘病生活であったことを物語る。セミプロのカテゴリーでサッカーも経験。今でも頑強な肉体を誇り、まだ30代後半と若い年齢だったこともあって、健康体そのもののマエストリさんがコロナウイルスに感染し、そして苦しんだことは、多くのイタリア人を震撼させ、コロナで重症化するのは高齢者や基礎疾患のある人だけではないということを十分に知らしめることとなった。

 「Andrà tutto bene. Restate a casa.」このメッセージを目にし、SNSに投稿した方も多いだろう。「全ては上手く行く。家にいよう」という意味だ。実は、このメッセージを最初に発信した人物は、サッカー選手だった。サッスオーロでプレーするフランチェスコ・カプートが、3月9日に開催されたブレッシャ戦でのゴール後にみせたパフォーマンスによるものだ。得点後にベンチにかけより、スタッフから用紙とペンを受け取ると、素早くペンを走らせ、それをテレビカメラの前に掲げて「危機を共に乗り切ろう」と呼びかけた。それから、このシンプルなメッセージは、感染拡大の脅威と立ち向かうイタリアのスローガンとなり、ロックダウン中は、一般人だけでなく、医療関係者も頻繁にこのメッセージをSNSに投稿した。カプートは、その後、8月27日にイタリア代表に初招集されることとなり、彼自身に限っては「すべてが上手く行く」こととなった。33歳2か月でのイタリア代表初招集は、史上2番目の遅さだ。10月7日に行われたモルドヴァ代表との親善試合では初得点も決め、こちらは最年長記録となった。諦めることなく、夢を追い続けてきたことは多くの人に勇気を与えるもの。スローガンだけでなく、遅咲きの点取り屋の存在そのものが、勇気付けられるものだ。

 そのカプートは、メッセージを掲げた経緯をこう振り返っている。「妻から電話があってね。『得点したら、何かやったらどう? 世の中はこんなに厳しい状況なんだから、何かメッセージでも出したら?』って言うんだ。もう試合の1時間前で、最初は何をしたらいいかなんて思いつかなかったけど、突然閃いたんだ。スタッフに、『僕がゴールしたら用紙とペンを渡して欲しい』ってね」。一瞬の閃きが、これほど多くの人たちに愛される言葉になるとは本人も露にも思わなかっただろうが、その用紙は自宅に大切に保管され、あの酷い日々を忘れないために、額装も考えているそうだ。

 一時は欧州最大の感染源となってしまったイタリアだが、感染者数が下降線をたどり始めた5月下旬からは、欧州の中で”比較的”感染者は抑えこまれていた印象だった。しかし、10月になって再び感染拡大の様相を呈してきており、楽観視はできない。同15日には、感染者が過去最高の8000人にまで達してしまい、予断は許されない状況となってしまった。これから、再びウイルスの流行が懸念される冬を迎える。「Tutto è andato bene.(すべてが上手く行ったね)」と言える日が一日も早く訪れるようにただただ祈るだけだ。
(その後、11月には1日の感染者が40,000人を越えるまでになりましたが、12月には平均14,000人となっています)

« 前のページへ戻る