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エッセー集 イタリア散歩道

ガリレオ・ガリレイ生誕450周年

小林 満
イタリア語検定協会 会長Le Ali 19号

望遠鏡を星空に向けて、月の凹凸や太陽黒点、金星の満ち欠けや木星の衛星などを発見し、宇宙の真の姿を人類に初めて見せてくれた人物、ガリレオ・ガリレイ。この近代科学の父とも位置づけられる偉大なイタリア人が生まれたのは、1564年のこと。今年はガリレオ生誕450年の記念すべき年です。宗教裁判によって命の危機にさらされ、地動説を撤回させられますが、彼が打ち立てた実験主義は彼の死後(1642年)も、ヨーロッパの研究者たちに継承されていきます。

今回はこのガリレオと弟子たちの活動を食やワインとの繋がりという視点から見ていきます。まず、ガリレオは主要著作の一つ『偽金鑑識官』(1623年)の中で味覚について原子論的な観点から次のように述べています(一部省略あり)。

降下する微粒子は、舌の表側の上で受け止められたのち、舌のなかに浸透し、舌のなかにある水分と混ざり合って、味覚を引き起こすのだ。その味覚が快いか不快かは、さまざまな形状をもったそれら微粒子のさまざまに異なる接触の仕方に、さらにはそれら微粒子の数の多寡や速度の大小に応じているのである。そして位置に関して言えば、舌は適切な場所にあることがはっきりわかる。舌は降下してくる衝撃を受け入れるために下方に横たわっているのである。

ガリレオは自然学の研究手段として「感覚」を重視しました。当時の学問の主流は権威としてのギリシア哲学者アリストテレスの著作に無批判的に従っていましたので、ガリレオの感覚に基づく経験・実験に基づく手法は受け入れられないものでしたが、ガリレオのこの方法論が近代科学への道を切り開いたのは言うまでもありません。その「感覚」がどのような仕組みで成り立っているかを説明している箇所の一部がこの引用です。まだ化学が存在しない時代であることを考慮すれば「味覚」の成り立ちがうまく説明されています。

ガリレオの食事情を知る手がかりが一つあります。それは彼の娘、修道女マリア・チェレステが残した父親宛の百通を超える手紙です。その中にはトスカーナの伝統菓子カントゥッチなども登場します。また、ガリレオが娘に「水牛の卵」(モッツァレッラ・チーズのこと)を送ってくれると知らせて来たのに対して、本当に水牛の卵だと思ってしまい、大きなフリッタータ(オムレツ)を作ろうと考えてしまったという逸話など、彼女の父親に対する愛情があふれています。

ガリレオが残した「ワインは水と光の合成物である」という言葉について説明しているのは、ガリレオ派の学者ロレンツォ・マガロッティ(1637-1712年)です。また、メディチ家の医師でもあったガリレオ派の学者フランチェスコ・レーディ(1626-1698年)は、『トスカーナのバッカス』(1685年)という詩作品で、酒の神バッカスがトスカーナを巡って五百にも及ぶ各地のワインを試していき、最後にはモンテプルチャーノ・ワインに栄誉を授けるまでを描いています。

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